こうん
こうん
小気味の良い音が山を駆け抜けていく。
音はしばらく続き、一際大きい″こうん″の後に森がぎぃぃと鳴いて、それまで陽の見えなかった森がぱあっと開けたように見えた。
大きく空に手を伸ばした木が一本、ざわあと音を立てて倒れたからである。
それまで深く沈んでいた森が明るく照らされ、下草が緑の光を放っているようだ。
ふぅと額で玉になった汗をぬぐうと、倒した木の枝を削ぐ作業に取り掛かることにした。
森がおおきく深呼吸をしたように、涼しい風が顔の横を通り過ぎて行く。
これが終わったらヒュンケル墓標でのんびりしていよう…
そんな事を考えながら、枝を落とされ一本の丸太になった木を麓へ運べる大きさに切り出すために鋸を挽き始めた。
セントエルデ山脈の麓、森と川の境目にひっそりと集まった家々。
村としての名前もあるにはあるが、それより麓の集落と呼んだ方が理解に易い。
森の木々は上質で、造船や建築だけでなく、燃料から武具小物まで需要は高かった。
川から船で直接街まで運べるのも商売としてはとても大きい。
本来ならば商人にギリギリの値段で買い叩かれなければ運ばれていかない商品も自分たちで運ぶことが出来る。
…なのに、だ。
なぜこの集落は栄えないのか。
商品は森に無数にあり、利益を更に上げる交通として水路が整っている。
本来ならば次々と商人や職人が集まり、それを求めてまた人が集まり、それを求めた新しい商売が始まっている筈だ。
本来ならばこの土地は人を呼び、人が人を呼び、村は町になり街になる。
それが成らない理由は2つあった。
ひとつはネツァワル貴族からの重税にある。
セントエルデ領主ロウエングリン家はこの集落へ普通到底受け入れることも出来ないような重税を課し、村が得た利益の殆どは搾取されていく。
維持すら難しいほどに切り詰められた村へ移住を望む者等いる筈もない。
なのに、どうしてこの集落が無くなる事がないのか。
村を見捨てて逃げる事もなく、なぜ素直に不当な税を払い続けるのか。
それはふたつめの理由によるものであった。
この土地は、魔女の住む呪われた地と呼ばれているからである。
そこで生まれた者は魔女の子どもと呼ばれ、街に降りた時など顔を隠さないと石を投げられても仕方ないという程に忌み嫌われた存在となっていた。
他の土地に住まうことも出来ず、領主に逆らうことも出来ず、ただなすがままそれらを受け入れていくしかない。
本当を言えば、変わる必要は無かった。
受け入れさえすれば、裕福ではないが静かな日々を約束されていた。
街では顔を見ることすら許されないが、集落では皆親しくそれこそ家族のように過ごしていた
ハルも、そんな毎日を不幸に思ったことはあまり無かった。
まだ14になったばかりだというのに、そこらの青年と見劣りしない程にはっきりとした顔立ちをしている。
どこか丸っこい幼さは残るものの、その真っ直ぐと見据えた切れ長の目には強く心を揺らす何かがあった。
ハル・ストレイジャ。
もっともここには2つの苗字しかないため、誰もがお互いに名前で呼び合う。
男性姓のストレイジャ、女性姓のストレイガはどちらも「魔女の子」という意味で使われている。
この世界では誰もが訓練によって魔法の力を行使することが出来るが、この姓を持つ者達は特別とされている。
魔法というのを乱暴に説明してしまえば、自然現象を自由に操れるということだ。
火氷雷をエレメントと呼びそれぞれは世界のどこにでも漂っている。
それらは自然に集まり、小さな現象となって消えることもあれば、場合によっては災害として訪れる事もあった。
それらを自在にあやつり、意図的な自然現象を引き起こす事で魔法と成している。
また地風のフォースと呼ばれるものもあり、これらは武器を媒介にする事で様々な技へと応用する事が出来る。
戦槌を振るう際に地のフォースを呼び起こし、地を揺らすほどの衝撃を呼び起こす事も出来れば、
弓を射る際に風のフォースを纏わせ、3里の彼方まで威力を殺すこと無く射る事も出来る。
ここまでは訓練しだいでは誰にでも可能と言われている。
ストレイジャ姓の男達はフォースを使うことに長けているらしい。
ネツァワル国の正規軍にその力を買われ、この集落出身でありながら大尉となった者も少なくは無いという話だ。
もっともそれには今までの名を捨てる事を義務付けられている為に、正確な人数やその真偽に関しては噂の粋を出ることは無い。
しかしストレイジャの姓を持つ男達は皆そうしてここから脱出する事を目標にしている者も多く居る。
そしてストレイガ姓を持つ女達には、火氷雷以外のエレメントを使えるものが稀に居る。
その最たるものこそがヒーラーと呼ばれる者達である。
人の命、生きる力そのものをエレメントとし操る能力。
もし、この能力に目覚めたと人に打ち明けたならば次の日には各国から自国へと連れて行こうとする早馬が飛んでくる。
そうして城へ「保護」された彼女達はそこから出る事は一切かなわない。
それ以外の望みならばどんな事でも叶えられるとしても。
ストレイジャの姓を持つハルもやはりフォースの扱いには長けているようだ。
もっとも、それを使うのは彼が生業としている木の伐採にしか使われることが無いようだが…。
そんなハルは深い森…魔女の森と呼ばれるそれを迷いの無い足取りで進んでいる。
麓へと降りる道でも、山道へと続く道でもない。
獣すら通らないような場所を、何処かを目指して歩いていた。
「メイヤ、居るか?」
居ないだろうとは思いつつも、習慣となっているようにハルは幼馴染の名前を呼んだ。
うっそうと茂る木々の中、ぽっかりと四角く天窓が開いたような場所。
黒く冷たい石碑の辺りを埋め尽くそうと、小さく黄色い花がまるで高級な絨毯の様に隙間無く咲き乱れている。
石碑はハルの膝ぐらいまでの高さしかない小さな物だ。
魔方陣と思われる丸い図形に囲まれるように仰々しく装飾された神聖文字でこれだけが刻まれている。
〝暴力と独裁の王ヒュンケル〟と。
苔むしたそれが本当は何を意味しているのか、知っているものは居るのだろうか。
ただハルには、それが誰かに覚えていて貰う為に作られた、小さな墓標の様に思えた
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